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タイトル「夢を拓く市民ポリシー 人まち魅力創造の美学"浜粋"」として長浜みらいまちづくり戦略会議総務企画部会から現在作成中の「コンセプトノート」の説明が行われ、発表後、他の部会の皆様から様々な意見・感想・提案がありました。下記はそのコンセプトノート案としての文面からの抜粋となっております。この公式ブログを活用頂き電子メールやブログのコメントへの書き込み機能を活用していただき、今回説明された「コンセプトノート案」へのご意見やご感想などをどんどんいただきたいと長浜力研究所では考えております。
◎抜粋001
「ながはまのまちづくりの変遷」
長浜市は、日本一の湖「琵琶湖」の北部、2市6町からなる湖北地方の中核都市です。
戦国時代には、秀吉公が自由商業都市「楽市楽座」を作り、商工都市として発展したまちです。この時代から脈々と続く曳山まつりの素晴らしさは目を見張るものがあり、各山組の町衆たちが自分達の文化伝統の継承に誇りを持ち支え続けています。
昭和に入り、高度経済成長の波に乗り遅れた長浜は、中心市街地(商店街)の人口の高齢化が進み、郊外型商業施設の出店により消費者離れと空洞化を招き、活力を失い衰退していきました。「通りには、ヒト4人、猫1ぴき」と揶揄されたのがこの時期でした。
長浜城の復興を機に、市民は長浜の資産である城下町や大通寺の門前町や北国街道などの歴史性を軸に未来のまちづくりのシナリオを書き始める(後に、博物館都市構想としてまとめられました。)ことになります。大都市や大資本には真似できないことを考えることで、衰退したまちを再生させることが必要であると考えました。同時に昭和57年には長浜青年会議所が中心となり「ながはま21市民会議」を設立し、地域の活性化を目標に動き出し、その後、北陸本線の直流化や、全天候型競技場の建設、大学の誘致などの事業が実現され、市民によるまちづくり運動が花開いていきました。
その後、第百三十銀行長浜支店(別名:黒壁銀行)の保存と中心市街地活性化事業の拠点として、昭和63年4月に第3セクター方式により設立され、黒壁のまちづくりがスタートしました。400年の歴史を持つ街道沿いにガラス文化を埋め込んで、古い街並みと新しいガラスの新旧対比の楽しさを演出しました。点から面へと黒壁の展開は周辺のまち並みをつくり多くの他団体との連携を保ちながら拡大し、商店街全体も賑わいを取り戻していきました。アートインナガハマ、NHK大河ドラマ「秀吉」、「功名が辻」等の市民パワーによるイベント開催も成功し、今では年間200万人を超す環境客でまちは賑わっています。
しかしながら・・・
「マチナカのまちづくりの終焉」
あれから20年間、黒壁のまちづくりは、マチナカ観光地として活性化することに大きく貢献してきました。しかしながら、一方では、まちづくりの想いを持たないチェーン店、観光客を相手に売上げのみを求めるお店が新たに進出するなど、まちなか本来有していた魅力が失われつつあり、商店街としてのコミュニティが壊れだしているところもあります。また、マチナカに住むことを敬遠し、郊外に居宅を構える住民も増え、少子高齢化が顕著になってきています。さらに商店街と(株)黒壁との関係も、まだ十分であるといえるものではありません。
「今こそ、新たなポリシーが必要」
マチナカのまちづくりとして、人を集めて、賑わいをつくり、消費を拡大する方策ではもはや終焉を迎えているのかもしれません。これからは、「中心」そのものが問われる時代になると考えます。市町合併が進む中、長浜の中心市街地の「中心」とは何なのかを、しっかりと問い正さなけくてはなりません。コミュニティがより一層崩壊し、市民同士のまちづくり談義が行われず、ますますマチナカに住む人がいなくなり、少子高齢化がより一層進み、商店街がシャッター街になってしまうというマチナカの終焉という最悪のシナリオが待っていることを認識する必要があります。
つまり、このままでは中心市街地として機能が崩れてしまう危機感を持つべき時期に突入しており、これまのまちづくりに恩返しをするつもりで、従前の枠にとらわれることなく、新しい人の参加を求め、マチナカ議論を進めていくことが必要となっています。
コンセプトノートの抜粋を読ませていただきました。コンセプトだけに理念的な表現が多く、難しく感じました。まちづくりはもっとシンプル(純粋)な気持ちであってもいいようにも思いますが、浅はかでもダメなわけで、作成には大変苦労なされているとご推察いたします。
そのなかで2点気になった点があります。
ひとつは「マチナカのまちづくりの終焉」というフレーズです。終焉というと、これまでのまちづくりを一切遮断し、全く違った考えやまちづくりをこれから進めていくとも捉えられてしまいます。確かに述べられていることは事実だと思います。かつて危機的な状況から奇跡的な再生を果たしたそのとてつもない力は誇るべきものです。その誇りや強い意志は、その時々の人々により累乗的に広がり、また次の担い手に引き継がれてきました。このつながりこそ、長浜の凄みではないでしょうか。この思いまで断ち切るとはお考えではないと思いますが、初めて目にした方には、全否定的な誤解を招かないか心配です。
もうひとつは、まちなかに生活感が乏しいように感じます。そこに住む人がいない(少ない)と自ずとそうなるでしょうが、観光地に浮き沈みがあるのは、所詮造られたまちで流行に左右されるからと私個人的には思います。人や店が入れ替わるまちはどうも落ち着かなく、かといって全くまちを変わらない(変えない)と住みにくい。
現代様式の中に、何か一つでも統一的な価値があれば、それはそれでまちへのこだわりにならないでしょうか。全か無かではなく、緩やかなつながりがある住めるまちであってほしいと願うものです。この長浜に愛着がなくなってはそれこそ終わりだと思います。この心だけは忘れずに、まちとともに生きる人がたくさんいるまちであり続けるよう、私も微力ながら考えたいと思います。
今濱人さま
大変貴重なご意見ありがとうございます。
おっしゃる通り、まちづくりは机上の議論だけでは
駄目ですし、あまり難しく考える必要はないと思います。
現在マチナカが抱えている問題点はお店同士(ハード)
のつながりや、ヒトの心や志(ハート)のつながりもが
希薄化してきているという事です。
長浜力研究所では、そのつながりや絆をもう一度再確認
するために活動を行っています。
さて、終焉という言葉ですが・・・確かに言葉の持つ
意味合いからしますといろいろな誤解を招く恐れは
正直あると思います。
決して、今までのまちづくりを否定する訳でもありません
し、逆にしっかりと勉強するべきだと思います。
部会でもしっかりと検討いたします。
個人的な話ですが・・・
私もマチナカで働き始めて、10年が過ぎました。
働きだした時にはすでに200万人もの人々が
お越し頂く街になっていました。
“何かを生み出す苦しみ”を知らなすぎるのかも
しれません。
もっと自分自身、危機感をもたないと新しいモノ、コト
は生み出せないと痛感しております。
続いて「生活感」ですが、確かにあまり感じられないですね。
私自身も実際、マチナカは職場であり生活はしておりません。
確かに非日常性だけでまちの感動係数を高めるのはどうか?
と思います。(テーマパークではないのですから)
重要なことは、おっしゃるまちに対する「愛着」だと思います。
住んでいなくても愛着は持てます。
今濱人さんのような方が一人でも多く、愛着を持ってこの活動
に参画して頂ければまちは更に進化(新化)すると思います。
今回、ご提案させて頂いているコンセプトは進化し続ける
もので、ある意味、終わりのないコンセプトノートにしたい
と思います。
まちづくりには職位も職種も関係ないと思います。
必要なものは人々を動かす何か「掛け声」のようなものです。
曳山祭りの「よいさ!」のように人々が一つになれる言葉を
探すことから、コンセプト作りをスタートしました。
まだまだ駆け出しです。20年後なんて誰にも予測は出来
ません。
但し、夢は見られると思いますし、行動を起す事は可能です。
その夢に向かって日々、前進してまいります。
今後もご意見、ご提案、宜しくお願いします。